まだ言葉を知らない子ども二人のやりとりに、私たちが忘れている思いやりの心を思い出します。それは相手を察すること。人間の表現方法は言葉だけではないのです。
赤ちゃんから2歳位までの子どもは言葉での表現よりも、声のトーンや泣き声で自分の思いを伝えます。
それを大人が「そうね。バスが通ったね!」と言語化させたり、泣き声を読み取って(あ、もう眠いんだな)とその子が心地良いと感じる行動へと導いていったりしますね。
まずは善悪の判断は抜きで相手に付き合ってみる
しかし徐々に大きくなって、語彙が増えてくると突然「ちゃんとお話ししなさい!」と言ってしまうのです。
何故言語を習得し始めると察する事を忘れ、表情から読み取ることもせずに、自分で話すように課してしまうのでしょう?大人でもそうですね。自分が涙がこぼれそうなほど心が苦しい時「言ってくれなかったから辛かったなんて全然気づかなかった〜〜!」とあっけらかんと言われてがっくりうなだれそうになった事はありませんか?
人間の表現方法は言葉だけではないと思います。相手の雰囲気がいつもと違うことに心配するのではなく気づくこと。相手の向けている視線の方向に善悪の判断は抜きで付き合ってみること。ただそこにある現象と向き合ってみると非言語から伝わる何かがあると思います。
相手の気持ちを察して送る無条件の愛
先日、1歳児がおもちゃを取られて泣いているところに別の1歳児がトコトコ歩み寄りました。泣いている顔を首をかしげてじっと見つめ。泣いていた子がふと自分が見られていることに気づいて相手を見ました。二人で口を開けてみたり、ふーっと息を吐きあったりしているうちに泣いていた子が歩み寄った子の頭をなでなで。
これこそ非言語でありながらも相手に寄り添い、相手の気持ちが開くのを待ち、無条件に愛情を送っている姿でした。
新たな出発と別れの三月がやってきます。
言葉で伝える喜びと共に、心の目で相手を見ることもしてみませんか?