思いやり

執着の捨て方 – 手放せばすっと楽になる

執着心は、思い込みやエゴを産み、怒りや不安の原因となります。そして他人を傷つけるだけでなく自分をも傷つけてしまいます。執着しない、と頭でわかっていてもなかなか克服できません。しかし、なかなか捨てられないあなたに知ってほしい3つの原則があります。3つの原則を知ればすっと楽になり自然と手放せるでしょう。執着を捨てた先には、穏やかな人生が待っています。

皆さんは日常で、どれくらい「執着」という言葉を意識したことがあるでしょうか。自分の言動を思い起こしてみると、とても多くの執着心を抱いていることに驚くはずです。

  • 「これは私が稼いだお金だから、誰にも渡さず自分のためだけに使おう。」
  • 「この人は私の恋人だから馴れ馴れしくしないで。」
  • 「これは私の物なのに、何で使うの?」

など、これらはすべて、対象物に対する執着から生まれる感情です。

この世のものは何一つとして自分のものでないと気づく

Photo by Louie Martinez on Unsplash

一つ覚えて頂きたいのは、この世界に存在している物は何ひとつとして、私たちの物ではないということです。以前もお伝えしましたが、私たちの本来の姿は魂(微小な魂)であり、そして私たちの父であり母である存在の大元の魂(大きな魂)があります。

関連記事:普段の生活では気づけない「幸せ」のこと

それがいわゆる、創造主と言われるものです。創造主がいなければ、この宇宙や私たちも存在しません。私たちが今使っている物や場所などは、すべてこの創造主が造り上げたものであり、私たちは一次的に、地球という物質世界で使わせてもらっているだけなのです。

いずれ全てを手放す時がくると知る

Photo by Ankush Minda on Unsplash

だいいち、死ぬ時にこの世界にある物の何を持っていけるでしょうか。何も持っていけません。ですから、対象物に対して過度に執着し、悲しんだり怒ったりする必要は無いということです。すべてはいずれ、手放すものです。自分の物だと思うから、色々な感情が生まれてしまいます。

例えば、大事にしていた物が無くなってしまったとしても、きっとそれはもう、必要な時期が終わったのかもしれない。それに、もしかしたら次に出会うものがもっと素晴らしいものかもしれない。家族も、自分のものではありません。たまたま縁あって一緒になったのであって、家族だから相手に対し何をしてもいい、ということはないのです。

また、領土争いも然りです。ここは私たちの国の領土だ、などと言い合っていますが、どちらの国のものでもないのが事実です。皆がその事実さえわかれば、国や民族同士の争いは無くなり、世界は平和でいられるのです。

何かをコントロールできると勘違いしない

Photo by Geetanjal Khanna on Unsplash

ここでもう少しお話しすると、私たち微小な魂は、何ひとつとして自分でコントロールはできません。病気になりたくなくてもなってしまうし、自分ではこう思っていても、そうはいかなかった、ということも多々あるのではないでしょうか。まして自分の死ぬ時期など、知る由もありません。

ということは、私たちは何かにコントロールされている、生かされている存在ということになります。そのコントロール者が、大きな魂なのです。すべては大きな魂のコントロール下にあります。“葉っぱ一枚でさえ、大きな魂(主)の慈悲なしでは動かない。”とさえ言われています。

執着を捨てれば、しなやかになれる

Photo by resa cahya on Unsplash

執着心を捨てることは、始めは難しいかもしれません。今までの考え方のクセは、なかなか変えられないものです。無理にいきなり変える必要もありません。ですので、日常で少しだけ意識してみて、「あ、今これに執着してるな。」と感じたら、「今は自分の手元にあるけど、本当は自分のものじゃないんだな。」と思うことから始めてみて下さい。

そうすることで、自然と感謝の気持ちがわいてきます。これを与えてもらい、使わせてもらっていることへの感謝。また、宇宙の真理を理解していくにつれ、一つの事柄から様々な感謝の気持ちが自然とわいてきます。今自分が置かれている環境や状況への感謝、対人関係に対する感謝など、すべてのことを有り難く思えるようになってきます。

しかし私たち人間は完全ではないので、無理なく少しずつ、ですが正確に、宇宙の真理であるヴェーダの知識をお伝えしていき、読んで下さる皆さんが今よりも幸せになれるよう、お手伝いが出来ればと思います。

Radhe Radhe

以下の記事を読めばすっと楽になります

Syamali Priya Dasi

バクティヨーガ実践中のOL。 学生の頃から何故かわからないがインドに興味があり、いつか必ず行きたいと思っていた。そんな時に参加したヴェーダ哲学の講座で現在の師と出会う。それ以降、ヴェーダの知恵やヨーガにハマり毎年インドの聖地へ行き学びを深めている。