あなたの人生にほんとうの意味での先生はいますか?
今回は私のほんとうの先生、マーク・シュヴェイマ先生から教わったguruについて書いていきます。
guruとは、先生だけを指すものではありません。重みがあるもの、重量があるもの、という意味があります。先生の場合の意味では、guru=マスターティーチャーのことを指しています。
マスターの意味は技術にたくさんの時間をかけ、何かを完成させた人のことです。自分が何かのマスターになりたかったら、一生かけて取り組むことが必要です。もしかしたら、一生では足りないかもしれない、と先生は言います。
私たちはこの世に生を受けたら最初の先生は親である場合が多いですね。食べ方や歩き方を教わり、人との関わり方を教わります。やがて成長し、自分というものができてきたら、誰かに何かを教わる、というのは選択できるものになってきます。
私たちを写す鏡
その時、あなたはどんな基準で先生を選んでいますか?ほんとうに素晴らしい先生というのは、私たちを写す鏡のようです。鏡に写った姿が時にはステキなものではない時もありますが、とても正直な姿です。
私の解釈ですが、他人は自分を写す鏡、とよく言いますね。どちらにも当てはめられると思うのは、まるまる自分の姿が先生や他人の姿になるのではなく、例えば先生に手厳しいことを言われた時、課題をやっている人には素晴らしい教えになりますが、課題をサボっていたらそれは心に痛い言葉となります。
このように、自分の心や行いが分かるから鏡なんだと思います。何かを教わりたいとき、人生に迷った時は自分の外側にguruが必要です。
素晴らしい結果が欲しければ?
また、素晴らしいguruは素晴らしいkarmaを持っています。karmaとは行い、行動、無私無欲、結果・原因の法則(studio BiNDUのTTCより抜粋)です。誰かに何かを行うとき、自分に十分な資源がある状態で無私無欲という形をとれば、その行いの結果は素晴らしいものになるのです。
あなたにguruはいますか?
時を振り返ると、自分の人生に手を差し伸べてくれた誰かはいるのではないでしょうか。